2011年5月4日水曜日

この災害を機に日本人の生活の見直しを。

2011年(平成23年)3月11日午後2時45分世界最大級(M8.8 震度7)の大地震が三陸沖を震源として起き、東京でも震度5を観測、我が家でも嘗て経験をした事がないような揺れで、そばで寝ていた愛犬を抱きかかえてうずくまってしまう程であった。
岩手県から茨城県にかけての沿岸はこの地震とそれによって引き起こされた大津波によって嘗てないほどの被害を受けた。またこの津波で福島県にある東京電力の福島原発が運転不能に陥り、放射能漏れを起こし、近隣住民を恐怖に陥れている。災害をより大きく複雑なもにしている。
震災から2か月が過ぎようとしている現在も、マスコミは現状を生々しく伝えているが、被害のあまりにも広範で大きいために復興がなかなか思うに任せないような状態のようである。天災である地震や津波については人間の力ではどうしようもない事として受け止める部分があるが、この復興の大きな障害になっているのが原発による放射能漏れである。これははっきり言って人災である。原発は確かに日本人の生活を豊かなものにしてくれた功績は大きなものと言えるが、一方では大きなリスクを持っている事がはっきりした。
この事故で解った事であるが原発は「決して安全なもの」ではないということである。現在も福島原発ではその抑え込みに多大の経費と労力を使っているところであるが、いまだに収束をみていない。先が見えない状態といっても過言ではない。人間が自由に制御することができないものを使って「豊かさ」を求めてみたところで最終的にはその「制御」できないものによって滅ばされてしまうような危惧を覚えてしまう。
この災害を良い教訓にもう一度、日本人全体で自分たちの求める生活の在り方を考えてみることが大切なような気がする。急には原発廃止とはならないかもしれないが、どこかで区切りをつけて人類を滅ぼしてしまうほどの危険なも、人間が自由に制御できないものを使わないで生活できるような生活様式にしなければならないと考えるが。

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