少し遅れましたが記録として遅まきながら読売ランドの桜をUPします。
2011年5月22日日曜日
2011年5月15日日曜日
やはり気になる原発
原子力発電は確かにこれまで我々の生活を豊かにしてきた、この事は忘れてはいけないことです。一方的に原発は悪い、直ぐに廃止だなどと言う議論には組しない所です。誰かが言っていたように原発利用は「トイレの無いマンションに住むようなもの」です。使い終わったエネルギーの最終処理も出来ない原子力エネルギーを喩えて言われた言葉ですが、適切な喩えといえるでしょう。今の所、人間が作った最高度なものであるが、最終的に人間が制御できなくなっているのが原子力です。絶対に「安全」だとか「自然に優しいエネルギー」だとかの理由で最終的には制御不能なエネルギーにもかかわらず、経済効果だけをねらって使い始めたのが原子力平和利用の原発です。使い終わった燃料棒は何百万年も放射能を出し続け人間を蝕んでいくと言うでは有りませんか。今はこれを日本では青森県の方に運んで保管していますが、これからも原発を使い続けるとその保管所もいっぱいになった時どのように処理をするのでしょうか。煮ても焼いてもこの物体はなくならないのですよ。平和利用とかと言ったきれい事では言い訳が利かなくなります。福島が大きな犠牲を払ってくれました、二度とこのような事が起こらないようにしなければ、福島の事故が無駄になります。これから何年かするうちに放射能を制御できる技術が生まれるとでも言うのでしょうか。どうしても気になります。最終処理の方法が見つかるまで原発の利用は早晩中止する必要があるような気がします。このままで原子力エネルギーを利用し続けていると人類はやがてこの原子力によって滅びてしまうような危惧を覚えて仕方がありません。むやみやたらに廃止しろとは言いませんが、だんだんと原子力エネルギーから脱して、もっと全部の人間が幸せになるようなエネルギーを使うようにしたいものです。
2011年5月8日日曜日
ギネスに挑戦するコンサート
先日大変ユニークなコンサートを聴きに出かけました。それはショパンのピアノソロ曲全212曲を一日で完全奏破すろと言うコンサートです。これが完奏されればギネス世界記録更新と言う事になります。演奏者はショパンの演奏では世界を代表するピアニストで横山幸雄と言う日本人ピアニストです。昨年はショパン生誕200年と言うことでショパンの音楽が色々な形で演奏されましたが、その中でも氏はギネス世界記録を目指して166曲を一挙に演奏し、それがこれまでのギネス世界記録になっていました。それを今回のコンサートでは46曲をプラスして演奏されましたので記録更新と言うことになります。演奏は作曲順に4部に分けて演奏されましたが午前8:00~始められて終演が26:00と言うことで、最終まで聞くことは出来ないのが残念でしたが、体調に余程の異変がない限り記録は達成されたものと思っています。私は第2部を最後まで聞くことが出来ました。ショパンの曲を作曲された順に演奏されたので、第2部はショパン20歳から27歳までの曲が演奏されました。女流詩人ジョルジュ・サンドとの満たされた生活をしていた頃の作品です、よく耳にしている曲が多く含まれていて親しみを持って感動しながら聴くことが出来ました。中でもop18「華麗なる大円舞曲」op66.幻想即興曲は興味深く聴かされました。
特筆しなければならないのはこれ等212曲のショパンのソロ曲が全曲暗譜によって演奏されたということです。そして単にギネスの記録を伸ばすという事だけでなく、その演奏の質が大変素晴らしいものである事です。世の中には想像も出来ないような人が居るものだと今更ながら感じいったしだいです。この人こそ現代の日本いや世界を代表する天才といっても過言ではあるまいと思いました。感動!感動!の演奏会でした。
付記しておきますがこの演奏会はチャリティー演奏会でこのたびの東日本大震災の為に開かれたものです。
特筆しなければならないのはこれ等212曲のショパンのソロ曲が全曲暗譜によって演奏されたということです。そして単にギネスの記録を伸ばすという事だけでなく、その演奏の質が大変素晴らしいものである事です。世の中には想像も出来ないような人が居るものだと今更ながら感じいったしだいです。この人こそ現代の日本いや世界を代表する天才といっても過言ではあるまいと思いました。感動!感動!の演奏会でした。
付記しておきますがこの演奏会はチャリティー演奏会でこのたびの東日本大震災の為に開かれたものです。
2011年5月5日木曜日
ゴールデンウイークの多摩川
今、ラジオでたまたま流れている尾崎豊を聞きながらこのブログを書いている。あの絶叫する歌声は耳にあまり快いとは言えないが、何か心にへばりつものがある。もう少し長生きができたらもっと内容の深い曲を世に出したのではなかろうか。何時ものような多摩川の休日の風景でが繰り広げられている。この河原でも「がんばれ日本」の横幕が何時もとちはちょっと違った風景が見られる。
動画を参照してください。
2011年5月4日水曜日
この災害を機に日本人の生活の見直しを。
2011年(平成23年)3月11日午後2時45分世界最大級(M8.8 震度7)の大地震が三陸沖を震源として起き、東京でも震度5を観測、我が家でも嘗て経験をした事がないような揺れで、そばで寝ていた愛犬を抱きかかえてうずくまってしまう程であった。
岩手県から茨城県にかけての沿岸はこの地震とそれによって引き起こされた大津波によって嘗てないほどの被害を受けた。またこの津波で福島県にある東京電力の福島原発が運転不能に陥り、放射能漏れを起こし、近隣住民を恐怖に陥れている。災害をより大きく複雑なもにしている。
震災から2か月が過ぎようとしている現在も、マスコミは現状を生々しく伝えているが、被害のあまりにも広範で大きいために復興がなかなか思うに任せないような状態のようである。天災である地震や津波については人間の力ではどうしようもない事として受け止める部分があるが、この復興の大きな障害になっているのが原発による放射能漏れである。これははっきり言って人災である。原発は確かに日本人の生活を豊かなものにしてくれた功績は大きなものと言えるが、一方では大きなリスクを持っている事がはっきりした。
この事故で解った事であるが原発は「決して安全なもの」ではないということである。現在も福島原発ではその抑え込みに多大の経費と労力を使っているところであるが、いまだに収束をみていない。先が見えない状態といっても過言ではない。人間が自由に制御することができないものを使って「豊かさ」を求めてみたところで最終的にはその「制御」できないものによって滅ばされてしまうような危惧を覚えてしまう。
この災害を良い教訓にもう一度、日本人全体で自分たちの求める生活の在り方を考えてみることが大切なような気がする。急には原発廃止とはならないかもしれないが、どこかで区切りをつけて人類を滅ぼしてしまうほどの危険なも、人間が自由に制御できないものを使わないで生活できるような生活様式にしなければならないと考えるが。
岩手県から茨城県にかけての沿岸はこの地震とそれによって引き起こされた大津波によって嘗てないほどの被害を受けた。またこの津波で福島県にある東京電力の福島原発が運転不能に陥り、放射能漏れを起こし、近隣住民を恐怖に陥れている。災害をより大きく複雑なもにしている。
震災から2か月が過ぎようとしている現在も、マスコミは現状を生々しく伝えているが、被害のあまりにも広範で大きいために復興がなかなか思うに任せないような状態のようである。天災である地震や津波については人間の力ではどうしようもない事として受け止める部分があるが、この復興の大きな障害になっているのが原発による放射能漏れである。これははっきり言って人災である。原発は確かに日本人の生活を豊かなものにしてくれた功績は大きなものと言えるが、一方では大きなリスクを持っている事がはっきりした。
この事故で解った事であるが原発は「決して安全なもの」ではないということである。現在も福島原発ではその抑え込みに多大の経費と労力を使っているところであるが、いまだに収束をみていない。先が見えない状態といっても過言ではない。人間が自由に制御することができないものを使って「豊かさ」を求めてみたところで最終的にはその「制御」できないものによって滅ばされてしまうような危惧を覚えてしまう。
この災害を良い教訓にもう一度、日本人全体で自分たちの求める生活の在り方を考えてみることが大切なような気がする。急には原発廃止とはならないかもしれないが、どこかで区切りをつけて人類を滅ぼしてしまうほどの危険なも、人間が自由に制御できないものを使わないで生活できるような生活様式にしなければならないと考えるが。
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